漫才師や女優として活躍した京唄子さん(本名:鵜島ウタ子)さんが2017年4月6日、肺炎のため大阪市内の病院で逝去しました。89歳でした。

2009年4月、記者会見を開いた京唄子さんは、車イス姿で芸能活動の休止を発表。腰椎圧迫骨折および腰椎変性すべり症の治療に専念するためだとコメントした後、「何としてでも直して、また舞台へ立ちたい」と涙ながらに決意を伝えていました。

治療は約1年半に及びましたが、2010年10月には京唄子さんの代表作ともいえるテレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』で復帰を果たしました。

しかし、2015年には滑舌が悪くなったことから、京唄子さんは「舞台にはもう出ません」と宣言し、芸能界から身を引いていました。

京唄子さんの腰の具合は回復せず、最近は親交が深かった上沼恵美子さんからのお見舞いも、弱っているところは見せたくないと、断っていたそうです。

 

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漫才師から女優へと活躍の場を広げた京唄子さん

京唄子さんが、芸能界で活動を始めたのは戦後すぐのこと。舞台女優としてデビューし、1956年には鳳啓助さんと漫才コンビ『唄子・啓助』を結成。軽妙なやり取りで人気を集めました。

テレビにも活躍の場を広げ、『てなもんや三度笠』や『スチャラカ社員』など、お笑い番組に出演した京唄子さん。女優としての評価も高く、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など、時代劇にも呼ばれていました。

1965年に鳳啓助さんと離婚した後も漫才コンビ『唄子・啓助』は継続。1969年から1985年まで放送したテレビ番組『唄子・啓助のおもろい夫婦』は人気で高視聴率を誇りました。

1993年から2011年まで放送されたテレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』では、本間病院の本間常子役で、お茶の間に強烈な印象を残しました。

 

京唄子さんとの別れを惜しみ、上沼恵美子さんや大村崑さんらがコメント

上沼恵美子さんは、ABCラジオの生番組『上沼恵美子のこころ晴天』で、NHKの朝ドラ『鮎のうた』で女優に復帰したときの、京唄子さんとのエピソードを披露。共演の京唄子さんから「あんた帰ってこなアカンと思とったんよ、大阪の宝なんやから」と言われたことに触れ、「母とダブるところがありましてね。(京唄子さんは)芸能界の母でした。あのひと言がなかったら、あのドラマの後、芸能活動はやってないと思います」と感謝とともに、冥福を祈りました。

京唄子さんとは約60年前からテレビで共演していたタレントの大村崑さんは、デイリースポーツの取材に応えました。
「会見で『5つ年上の唄子姉さんの胸を借りて頑張ります』と言ったら、『自分の年を言うのはいいけど、女優に年はない』と怒られました」と思い出を振り返り、別れを惜しみました。

『渡る世間は鬼ばかり』で共演した女優の藤田朋子さんは、所属事務所を通じて追悼コメントを発表しました。
「自慢のお帽子をお洒落に被る京さん。おしろいの下の愛らしい瞳、遠くからでも聞こえる『へえ! へえ! おはようさん!』の声。思い出は尽きません…」と冥福を祈りました。

 

京唄子さんの葬儀は家族葬に。お別れ会は上沼恵美子さんが発起人に?

京唄子さんの葬儀は、2017年4月7日・8日の2日間、大阪市内の斎場で行われました。

葬儀は、家族や親族など40人が参列する家族葬のスタイルで行われ、京唄子さんが休む柩には、愛用のハットやカバン、『渡る世間は鬼ばかり』の台本などが納められました。

戒名は「妙法歓櫻華院妙喜日唄大姉霊」。芸名の一文字「唄」と、京唄子さんが好きだった「櫻」が使われました。葬儀でも、柩のそばに桜の枝が供えられ、最期の花見の席が用意されました。

家族葬とは、家族や親族、親しい友人などが参列する葬儀のかたちです。喪主を務める家族は参列者を決めることができるため、会社関係や近所の方が参列する一般葬に比べて、挨拶に時間を割くことなく、ゆっくりとお別れができます。

また、葬儀当日の参列者の人数があらかじめ把握できるため、料理や会葬返礼品の追加が必要になることも少なく、見積りから追加費用が発生しにくいことも特長です。

一方で、家族葬の案内を送らなかった方から、「どうして葬儀に呼んでくれなかったのか」と言われる可能性があるので、事前に「故人の遺志により、家族葬で送ること」を電話や手紙で伝えるなど、配慮が必要になります。

京唄子さんのお別れ会が行われるのかは未定ですが、上沼恵美子さんは「絶対、やってほしい。発起人になってもいいから…」と訴えています。

淡路恵子さん葬儀

一方で、淡路恵子さんの葬儀のように、ファンの方も参列できるスペースを用意し、お別れ会を行わない場合もあります。

淡路恵子さんの葬儀の詳細を見る

 

京唄子さんの遺影は、トレードマークの帽子をかぶって微笑む姿。今にも笑い声が聞こえてきそうな姿に、今も旅立ったことを信じられない方は多いのではないでしょうか。

ご冥福を祈りします。

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