1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリストの古賀稔彦さんが2021年3月24日、がんで逝去されました。53歳でした。

古賀さんは1967年福岡県生まれ。東京都世田谷区の「講道学舎」に入門し、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を個人・団体戦で制覇しました。

日本体育大学進学後”平成の三四郎”の異名をとり、世界選手権2階級制覇をはじめ、ソウル、バルセロナ、アトランタと3度のオリンピックに挑戦。

1992年のバルセロナオリンピックでは、大会直前に左膝内側側副靭帯損傷の大怪我を負いながらも金メダルを獲得。また、1996年アトランタオリンピックでは銀メダルを獲得しました。

2000年に現役を引退してからは、指導者として全日本女子柔道コーチを務めるかたわら、2003年からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市に開塾しました。

2004年のアテネオリンピックでは、柔道女子63kg級で金メダルを獲得した谷本歩実選手のコーチとしても脚光を浴び、愛弟子を称えた抱擁のシーンは感動を呼びました。

2007年から岡山県のIPU環太平洋大学体育学部体育学科教授、並びに女子柔道部総監督に就任すると、2010年全日本学生柔道体重別団体優勝大会において、女子柔道部創部4年目で初優勝の快挙。さらに2011年の同大会で2連覇を達成。2013年全日本学生柔道優勝大会女子5人制でも2連覇を達成しました。

2008年、日本健康医療専門学校校長に就任。2008年4月弘前大学大学院医学研究科博士課程に入学。2012年3月同大学を卒業し、 医学博士号を取得。2014年4月から全日本柔道女子強化委員に就任しました。

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古賀稔彦さんの葬儀・告別式は大型葬

古賀稔彦さんの葬儀・告別式は2021年3月29日に川崎市内の寺院で営まれ、教え子の金メダリストの谷本歩実さんら関係者約1000人が参列しました。古賀さんのような葬儀スタイルは、大型葬と呼ばれています。

従来からある一般的な葬儀の中でも、参列者が200名を超える場合は大型葬と呼ばれます。企業の発展に務められた方の功績を称え、企業が主体となって追悼する社葬も大型葬のひとつです。

告別式では、古賀さんが開いた町道場「古賀塾」の生徒約60人が感謝の言葉を、「講道学舎」の後輩で1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト吉田秀彦氏が弔辞を読み上げました。

吉田氏は涙で言葉を詰まらせながら「早すぎますよ……」と声を絞り出すと、「先輩の近くにいたから柔道でも先輩に追い付きたいと思うようになり、いつか同じ世界の舞台で戦いたいという夢ができました」と語りかけ、「東京でやる五輪、見たかったですよね。日本選手の活躍を楽しみに見守ってください。さよならを言いたくないので、お疲れまでした」と締めくくりました。

出棺時には古賀さんの長男・颯人さんが、「父の教えと精神と遺志を受け継ぎ、父の分まで精いっぱい生きていきたいと思います」とあいさつ。

“平成の三四郎” と呼ばれた古賀さんは、白の柔道着に黒帯姿で出棺。約1000人の参列者は合掌して、静かに見送りました。

偉大な柔道家、古賀稔彦さんのご冥福をお祈りします。

コロナ禍でも感染症対策をすれば大型葬もできる

コロナ禍でも斎場・葬儀場、火葬場は、社会生活を維持するうえで必要な施設として、式場の換気・消毒、人と人との間隔を保つなどの感染予防対策を実施することで、葬儀を滞りなく行うことができます。

古賀稔彦さんの葬儀・告別式のように参列者が1000人規模の大型葬であっても、それをお手伝いする葬儀社のスタッフはもちろん、参列者の皆さんがマスク着用し、こまめな手洗・消毒を行うことでお別れをすることができます。

本来、葬儀・告別式は大声で話をする場ではなく、静かに故人を悼み、お見送りするものですから、発熱などのかぜ症状がある方の参列は控えて頂いたうえで、大勢の皆さんが密集する状態を避けることで大型葬も可能になります。

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