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もくじ
バラエティ番組ではビートたけしとも共演した松方弘樹さん
映画やドラマをはじめ、バラエティ番組でも活躍した、俳優の松方弘樹さんが1月21日、脳リンパ腫のため都内の病院で亡くなりました。74歳でした。
1942年に時代劇俳優の近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの長男として、東京都で生を受けた松方弘樹さん(本名:目黒浩樹)。俳優一家に生まれた松方さんは、高校生の時に父と同じ東映に入社します。
そして、1960年には「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。デビュー以来、時代劇を中心に活躍し、甘いマスクの二枚目スターとして人気を誇ります。
一時、大映に移りますが、再び東映に復帰。1973年公開、深作欣二監督の「仁義なき戦い」では、広島県の暴力団の若頭役を演じ、その魅力がさらに開花します。その後も「沖縄やくざ戦争」「柳生一族の陰謀」「修羅の群れ」「最後の博走」など、ヒット作を連発。その地位を不動のものとしていきます。
1974年のNHK大河ドラマ「勝海舟」では、病気の渡哲也さんに代わって、途中から主人公・勝海舟役を演じます。テレビドラマでは、「大江戸捜査網」「名奉行遠山の金さん」など、数々の人気シリーズに出演していきます。
名実ともに日本のトップスターになった松方弘樹さんは、日本テレビ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でバラエティ番組にも進出。映画の役の印象とは違うお茶目な一面を見せ、お茶の間の人気者になります。
近年では、趣味でやっていたマグロの1本釣りが注目を集めていました。松方さんのマグロ釣りだけでドキュメンタリーの特番が組まれるなど、趣味の域を超えていました。
プライベートでは、2度の離婚を経験。一人目の妻との間に目黒大樹さん、2人目の妻・仁科亜季子さんとの間に俳優の仁科克基さん、仁科仁美さんがいます。
俳優として数々の偉大な功績を残してきた松方弘樹さん。昨年2月に体調不良で入院し、脳リンパ腫と診断されて以降、晩年はコンサートや舞台を取りやめて、療養生活を続けていました。
松方弘樹さんの大スターらしい豪快な伝説の数々
昭和を代表するスター・松方弘樹さんは、数々の豪快過ぎる伝説を残しています。
デビュー当時の月給は一般的な新人の10倍以上
松方さんがデビューした時代の新人俳優の月給は3000円程度。そんな中、松方さんはその10倍にあたる3万円の給料をもらっていたそうです。しかも、それ以外に映画1本出演するごとに10万円をもらっていたと言います。
忙しすぎて使えないので、お金はどんどん貯まる一方。新人なのに先輩にたかられて、何軒も居酒屋をはしごしていたそうです。
飲み代で年間2億円使っていた
かなりの酒豪で知られる松方さん。お酒にはめっぽう強く、一度にウィスキーを5本、日本酒を1升飲んだことも。飲み比べでは、横綱・千代の富士さんにも負けなかったそうです。
毎晩のように役者仲間を連れて飲み歩き、なんと飲み代で年間2億円も使っていたことがあるそうです。
300キロ超えのマグロを何度も釣り上げている
大の釣り好きで、マグロの1本釣りが毎年のように話題になっていた松方さん。2008年には351キロ、2009年には325キロの大物マグロを釣り上げました。2009年に釣ったマグロは437万円でせり落とされています。
一昨年の2015年には、沖縄県石垣島沖で6時間以上の格闘の末、361キロのマグロを釣り上げました。
それだけでもすごいエピソードですが、さらに続きがあります。マグロを売って得たお金は、一緒に行った仲間や港の人たちを呼んで、全てその日のうちに使いきってしまったというから驚きです。まさに「宵越しの金は持たない」という豪快な方でした。
松方弘樹さんの訃報に、梅宮辰夫さんなど各界の著名人から悼む声が
同世代の東映の看板俳優として共通点も多かった北大路欣也さん
「仕事への情熱、夢と冒険、エネルギッシュに前進し続けた姿に、私は心から敬愛する仲間の一人です。さよならは言いたくない、また会おう、弘樹」(NHK NEWS WEBより)
「仁義なき戦い」「影の軍団」シリーズなどで共演した千葉真一さん
「本日、松方くんの件で一報を受け、そんなわけないだろ、うそだろうと自分の耳を疑いました。松方くんは本物を持っている、本物を伝えることのできる数少ない日本の財産というべき役者でした。」(毎日新聞より)
1966年の映画「兄弟仁義」などで共演した演歌歌手の北島三郎さん
「本当に辛く胸が痛みます。撮影での思い出は数々ありますが、いろいろお世話になりました。また一人、大事な友の旅立ち、誠に悲しく、悔しさでいっぱいです」(産経ニュースより)
50年以上親交がある映画監督の中島貞夫さん
「おととし、『一緒にチャンバラ映画を作ろう』と話していたので、ショックが大きいです。時代劇も現代劇も幅広く演じられる俳優でした。殺陣(たて)の演技の間(ま)の取り方がうまく、天性の才能だったと思います。芝居を若手に見せたりスタッフを連れて宴会を開いたりと、昔ながらのスターのような生き方をしていました。最後のスターであり、非常に貴重な存在だったと思います」(NHK NEWS WEBより)
元妻で女優の仁科亜希子さん
「このたびの、訃報を聞き、大変驚いております。私が本気で愛し、2人の子供を授かり、20年以上も供に歩んで参りました方です。今は、安らかにおやすみくださいますよう、心よりお祈り申し上げます」(産経ニュースより)
公私ともに親交が深かった梅宮辰夫さん
密葬に参列して、「骨だけがバラバラになって出てきてね。悲しかったですね。人間ってこんなに簡単なものなのかと…」とコメント。
定期的にお見舞いに行っていたが昨年12月にはすでに意識はほとんどなく、「ボーっと上を見えていて、『おい』と声を掛けても反応がなかった」そうです。
「昭和の残り少ない映画俳優だった。最後の生き残りだったのに、いなくなって…。寂しい、悲しいです」と胸の内を明かしました。(スポニチより)
お別れ会は松方さんの曲で送る、ヒットパレード葬に
松方弘樹さんが亡くなる原因となった脳リンパ腫は10万人に1人という、大変発症率の低い病気です。松方さんは、治療に際しては、手術を受けずに投薬療養を行ってきました。豪快で明るい性格の松方さんですら、病気には勝てませんでした。
葬儀は生前の本人の意思を尊重して、近親者のみで密葬が執り行われました。所属事務所からは「勝手ながらのお願いですが、ご供花、お供物、お香典は固くご辞退申し上げます」とコメントが発表されています。
松方さんの所属事務所「夢グループ」は、「松方さんらしいにぎやかな会にできれば」と、盛大にお別れ会を開きたいという考えを明らかにしました。
松方さんはこれまで、同じ事務所の小林旭さんや千昌夫さん、黛ジュンさんらと公演を行っていました。お別れの会にも、松方さんのゆかりのある多くのスターが参加し、松方さんの歌を歌う「ヒットパレード葬」になりそうです。
俳優としても、一人の人間としても、多くの方に愛された松方弘樹さん。俳優としての勇姿とその明るいキャラクターは、人々の心にずっと残っていくはずです。
心よりご冥福をお祈りいたします。